町田のアート・スペース・オーに、友人と一緒に行ってきました。ドロシー・ディレイの秘蔵っ子と呼ばれ、子供の時分からカナダを中心として数々の演奏暦をもち、単なる天才少女ではない、深い音楽性を持ち合わせた若手バイオリニストとして、辛口の批評家からも絶賛されているようです。使用楽器はストラディバリウス「エックスフリース」。宮崎市で行われた第8回”宮崎国際音楽祭”に出演した後、帰国までの間にオーナーが「是非とも」と頼んだとのこと。
当日のプログラムはご本人の希望により、かなり変更が加えられました。
①ガーシュイン: 3つのプレリュード → J.S.バッハ Vnソナタ第3番ホ長調 BWV.1016
②ブラームス: ヴァイオリンソナタ 第3番 ニ短調 → 予定通り
③ベートーヴェン: Vnソナタ 第3番 変ホ長調 作品12の3 → メシアン 主題と変奏
④イザイ: 無伴奏Vnソナタ 第3番「バラード」 → メシアン「世の終わりの四重奏曲」より”イエズスの不滅性への領歌”
⑤ラヴェル: ツィガーヌ → 予定通り
(以下、友人の感想)
ストラディバリ(なかなか渋めの音で、今日の曲には合っていた)で平間会場の3m先で、この日一番のツィガーヌを弾かれると、震えるものがある。譜面無しで弾いた唯一の曲だけあり、全て手の内、余裕さえ感じられる。テクニックと表現力が素晴らしい。「さすが、ドロシー・ディレイの門下生!」と思わせる。前から「いい曲だな」とは思っていたが、決定的なものになった。
ブラームスは先月のギル・シャハムの演奏とはかなり違い、合田さん曰く、「可憐ではなかった佳廉」の体型から繰り出される非常にパワフルで、他の演奏家では聞いたことのない、世に言われる”渋いブラームスの室内楽”を好む人からは一言ありそうな、朗々と歌い上げる魅力ある演奏であった。
「佳廉」の強い希望で入れられたメシアンと聞かされた時、従来は抱いたであろう理解し難い曲ではないかとの不安と、最近自分でも不思議なくらい許容もしくは興味さえ覚え始めた現代曲への楽しみが入り交じった心境となったが、この2曲はなかなかいい。武満の曲と通じるものがあり、バロックや古典、ロマン派では表現しきれなかった精神性を表すことができた音楽とみた。伴奏者の「加藤洋之」は、ギル・シャハムの伴奏者・江口玲と同様に、「いい若手の日本人演奏者がいるんだ。」と嬉しくなったピアニストである。
さて残るは問題のバッハ(アンコールに無伴奏ソナタ第1番 第一楽章 アダージョを弾いたがこれも同じ)。全体をどう構成しようとしているのかが不明で、終わってみると旋律が流れていただけの演奏となってしまったのは、勉強不足なのか、不得意とする分野なのか。組み替えてまでいれたソナタとアンコール・無伴奏への思いと現実との落差を埋め得る可能性は、「大器を予感させる若きヴァイオリニスト」から「予感」が取れるか否かにもつながると考える。
(私の感想)
ラヴェルのツィガーヌに関しては、まさに圧倒された。壮絶とも言える気迫とダイナミックな音質、冴える技量、いずれを取っても素晴らしいものでした。3mほどの距離で、直接音をそのまま耳に叩き込むような音楽の楽しみ方は、滅多に味わえるものではない。演奏者との「音楽による会話」をモットーとする、ここのオーナーにはとても感謝しています。
そしてメシアン、このような曲を知るきっかけを得た事に、改めて生のコンサートに足を運ぶ意義を強く感じました。ピアノの天板を大きく開け放し、独特の叩きつけるような和音の世界とバイオリンの音のベストマッチには、大変強烈な印象を受けました。後で聞いた話では、伴奏の加藤さんの「狙い」もあったとか・・・。
さて、問題のバッハですが、・・・・ドロシー・ディレイはバッハを教えたのであろうか。五嶋みどりあるいはシャハムも演奏はしているだろうが、CDを出していない。やはり、それ相応のキャリアと年齢を重ねることが必要なのかもしれません。シャコンヌあたりでは高度な演奏技術が要求されますが、それだけでは弾ききれないものが、バッハには相当あるような気がしました。
演奏後に5分間くらい、加藤さんとお話をすることができました。この12月の川村さんとのフィリアが中止になったと聞きました。とても残念です。絶妙なデュオ(川村さんとの)を楽しみにしていたのですが・・・。9月には、キュッヒェルさんとのコンサートを予定しているとの情報をもらいましたので、また加藤さんの素晴らしいピアノが楽しめそうです。
新鋭アーティスト、特にバイオリニストの発掘は実にスリリングで、また楽しいものです。川久保賜紀さんがその翌日、秦野で演奏する予定もあったのですが、怪我で来月に伸びたようです。これもまた、我々中年族の発掘の楽しみになるかどうか、近い事もありぜひ行ってみようかと思っています。