菅野沖彦さんの記事を読ませてもらいました。その感想を書いてみます。
前半のところ、つまり録音技師あるいはプロデューサは、単なる電気屋ではなくて、鋭い感性と芸術性が求められ、「録音家」と呼ばれるべき存在である、ここは全く同感でした。
次に、「レコード演奏家」論に至るまでの展開ですが、これはいただけない論旨だと思います。まず、原音再生を目指す場合、録音空間が有限として考えると、再生空間は無響室でなければならない、これはその通りと思います。実際に、耳とスピーカーを至近距離にセットして楽しむオーディオの流儀があるくらいですから。
しかし、その逆の場合の評価をしていない点、あるいは双方が有限の空間の場合を評価せずに、いきなり再生空間が重要であると言う議論に走っています。これは明らかに論理の飛躍と矛盾を感じました。
最後にレコード演奏家論、ここで「家」がつく言葉には必ずその芸術性が問われると力説しておきながら、オーディオマニアとしての芸術とは何かが説明されていません。
以上ですが、下記の段階のどこに芸術性を求めるかを考えると、少なくとも再生装置&リスニングルームは違う、というのが私の結論です。
・演奏者から
・録音された環境から
・CD製作過程から
・再生装置から
・リスニングルームから
生の音楽と再生音楽は別物ではないかと言う考えもあるのですが、自宅で聴く音楽は上記の要因が全て含まれています。そして自分にとっての「良い音」と言うものがどの要因から主として生まれるのか、このあたりを考えると面白いような気がします。
再生音楽には、少なからず録音orミキシングエンジニアの感性、才能、芸術が関係してきます。それらも含めてひとつの作品(=商品)が世の中に出ているわけなので、録音技師の狙いを変えてしまうような聴き方はやはり止めたいなと思っているだけです。と言いながらも、なかなか面白い記事だと思います。